代表取締役社長 鈴木信夫のブログ

父である鈴木達雄の「お別れ会」が終わりました

先日はお忙しい中、父である「鈴木達雄」の「お別れ会」に参列いただき、誠にありがとうございました。

また、私の不徳解いたしますところで、十分にご連絡が行き渡らず、お越し戴けなかった方に置かれましては、

お詫び申し上げます。

さる4月12日にお陰をもちまして、無事に会を終わらせることが出来ました。至らぬ点も多かったかと存じますが、何卒ご容赦戴けますと幸いです。

 

 

さて、父の人生は、波瀾万丈なモノでした。戦争の最中に生まれ、戦後祖父は会社を興し、裕福な暮らしをして居たのも束の間、非常に厳しい生活をする事になりました。

父は、生前「祖父は素晴らしい技術者だが、お金について知識がなさ過ぎるのではないか?」と、考え、当時としては珍しい大学を二つ通って居たと聞いております。夜間の方の大学は、卒業はしなかったそうですが、昼間に慶応。夜に中央大学に通っていたと聞いています。

大学を卒業し、保険会社に就職し、札幌支社に転勤となります。そこで母と出会うわけですが、当時としては、大変珍しい社内結婚であったことを自慢していました。働いて居る支社では御法度だったのに、押し切ったとのことでした。そして、横浜に転勤して直ぐに、祖父の会社に入ることになりました。それは、経営状態が悪くなり、祖父からの依頼であったとのことですが、本人曰く「いつか商売をやりたいと思って居た」とのことです。

 

資金繰りはすこぶる悪く、大学時代の友人や高校時代の友人にまでお金を借りて回り「学生時代の友人の多くを失った」と、よく言っていました。勿論、その後も、頭が上がらなかった友人はいた様で、中には、僕らもお世話になった友人の方も居られます。僕らの生活は困窮しており「クリスマスケーキが買えなかった」という思い出や「インスタントラーメンを家族で分けた思い出」なんて言うのもこの頃の話です。私が高校に入学するくらいにその借金は払い終えたと言うことで、自宅を購入するに至ったことを後年よく話してくれました。

 

そんな生活の中で、父が思っていたことは

 

「路傍の石になりたい」

 

と、言うことであったそうです。これは祖父が昔辛かったときに言っていたことで、「路傍の石」とは、言わずもがな山本有三の有名な小説であるわけですが、

その後、父がその小説を読み、祖父の気持ちを察したと言うことでした。父が書いた2冊の本の中にも、その辛かった日々は書いてある訳ですが、

そう語っていた父にこの場を借りて、伝えたいことがございます。

 

親父の人生は「路傍の石ではな無かったよ」と。

こんなにも多くの人に愛されて、天に召された。素晴らしい人生だったじゃないかと。

 

最後に、祖父母が愛し、そして、父が愛した賛美歌を書き添えて、皆様の感謝の気持ちをお伝えするご挨拶とさせて戴きます。

 

本当にありがとうございました。

 

千代田第一工業株式会社

代表取締役 鈴木信夫拝

 

 

賛美歌405

 

1.神ともにいまして  ゆく道をまもり、  日ごとの糧もて  つねに支えたまえ。
(くりかえし)  また会う日まで、  また会う日まで、  神のめぐみ  たえせず共にあれ。
2.荒れ野をゆくときも、  あらし吹くときも、  ゆくてをしめして  導きたまえ、主よ。

3.み国に入る日まで  いつくしみひろき  みつばさのかげに  はぐくみたまえ、主よ。

ロマ16:20 イザ43:2 詩84:5 マタ28:20 1:23出3:12,33:14-16,40:34-38

 

The grace of our Lord Jesus Christ be with you. Amen. 1 Thessalonians Chapter 528

1. God be with you till we meet again;By his counsels guide, uphold you;With his sheep securely fold you.God be with you till we meet again.

[Chorus]Till we meet, till we meet,Till we meet at Jesus’ feet,Till we meet, till we meet,God be with you till we meet again.

2. God be with you till we meet again;When life’s perils thick confound you,Put his arms unfailing round you.God be with you till we meet again.
[Chorus]

3. God be with you till we meet again;Keep love’s banner floating o’er you;
Smite death’s threat’ning wave before you.God be with you till we meet again.
[Chorus]

 

 

 

鈴木達雄(すずき たつお)

千代田第一工業株式会社代表取締役会長
昭和16年5月26日生 平成31年2月17日没(享年77歳)

1941年神奈川県横浜市生まれ。

慶應大学法学部卒業後、1964年安田火災海上保険に入社し、1969年退社。

同年、千代田第一工業株式会社に入社し、1985年代表取締役社長に就任、2004年会長に就任した。

千代田第一工業株式会社は、はく離や摩耗に強く長寿命と評判の硬質クロムめっき「ダイクロン」を主力に事業を展開し、好調な経営を

続けている。二回にわたる経営危機を乗り越えて得た教訓、“信頼をつかんで(グー)”、“欲望を絶ち幸せを味わう(チョキ)”、“

自らの利益を社会に還元する(パー)”、「グー・チョキ・パー」に例えた経営哲学を『ジャンケン経営の実践』(日刊工業新聞社)で紹介している。

昨年より、心筋梗塞及び脳梗塞の病魔に倒れ、さる平成31年2月17日に永眠した。

 

 

 

 

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